旅行・地域

2008.09.17

知恵子抄詩碑

Q2私の好きなブレザー
でも派手なので着て外出すのはきがひける。
着て街を歩いてみればそれほどでもない。
つくづく見れば見るほどに派手だけれど綺麗。

秋は旅行に最適な季節です。
高村光太郎と言えば智恵子抄
二本松の「霞ヶ城県立公園」に

知恵子抄詩碑
 あれが阿多多羅山
あのひかるのが阿武隈川

土井晩翠歌碑
 花ふぶき霞が城のしろあとに
   仰ぐあだたら峰の白雲


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2005.04.23

郡山市逢瀬公園の桜

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ここの桜は、毎年訪れますが、人が少ないのと
駐車場が大きく誰でも気軽に散策できチョットした
山登り気分も味わえ頂上の桜の木のトンネルは見事
頂上の日本庭園、展望台からの眺めも最高です。

夏には蝉が手で捕まえることのできるほどに桜の木に止まり、
わんぱく広場には、遊具が多く皆楽しそうに遊んでいます。

白河フラワーワールド・ますつり公園・逢瀬公園・その他

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2005.04.21

安積開拓の歴史

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49号線上りに向かって左開成山公園横の麓山通りに
曲がる角街に向かって右にアッ!温泉だと思った一瞬は
近づいて見れば何の其でも考えましたね・・
安積開拓の歴史  
公園周辺は大槻原と呼ばれ、郡山、大槻、富田、小原田各村の入会地でした。
士族授産と殖産興業が急務だった県は、明治5年大槻原開墾資金貸与を願い、
6年に開拓事業が開始されました。

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2005.03.27

京都大原野の春

京都市西端に連なる自然豊かな山々の釈迦岳の山腹には西国三十三所観音霊場
第二十番札所・善峰寺(よしみねでら)があり、大原野の春を満喫できます。
三万坪の境内にある樹齢三百年と言われる枝垂桜は、隣合うカエデと根が絡まり
伸びていて一瞬不思議に見つめてしまう。
五代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院が植えられたと伝えられています。
昨年の11月にお友達が撮影した善峰寺の秋も美しいです。

それでは、善峰寺と山をひとつ隔てた北にある勝持寺(しょうじじ)の歴史は、
歌と桜を愛した西行法師が出家し、自ら植えられたと伝えられる三代目の西行桜、
その他100本もの桜が一面に咲き誇り、美しい桜色で染まります。

勝持寺を南に下りて小さな橋を渡るとその先に見えるのが、正法寺(しょうぼうじ)です。
庭園には、白砂の石庭に紅枝垂れ桜が東山を借景にして咲きます。
鳥獣の庭と呼ばれる動物を模した石が置かれてます。兎、梟、・・・・

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2005.03.25

長崎・島原

島原
雄大な島原城、お城をしのばせる島原駅と拝見したところで長崎市の歴史を少し
市役所から県庁までの台地は昔、海中へ突出した岬で、キリシタンの貿易の内町
~外町へと発展した長崎の地名はそこから自然と生まれたと思われます。
長崎の人で俳人・向井去来の俳句 長崎丸山での句
・・・有明にふりむきがたき寒さ哉・・・
・・・うぐひすの音づよになりぬ二三日・・・
若年武道に励んだが芭蕉門に入り、蕉門十哲の一人となった。
上野町には、原子病の研究と発表を続けた・永井隆博士が生前住んでいた家
博士が命名した「如己堂」は、「己れの如く隣人を愛せよ」の聖書の引用で、又
「長崎の鐘」 「この子を残して」の作品もあります。

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2005.03.13

国境の島“対馬”

長崎県の離れ島で福岡から壱岐島の先にありその距離150km、朝鮮半島からは50kmと韓国の釜山に最も近い。釜山と言えば昔懐かしい“釜山港へ帰れ”があります。これで一挙に名が知れ渡った。対馬の人々は昔は良く釜山に行ったという。歴史的にも日本と韓国の仲介役を担い、江戸幕府と朝鮮の橋渡しをしていた時代もあった。
対馬最大の港・厳原港からは釜山までの定期便が出ています。
鎌倉から江戸時代までの約600年間対馬を治めた藩主宗像の菩提寺・万松院はいまでも綺麗に整備され残っています。
ブリ、タイ、カツオ・・・港には揚がってますが、市場も競もなくそのまま島外へ出荷され、競にかけられ一部が戻ってくるという。

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2005.02.06

山口の瑠璃光寺五重塔

山口市は県の中心地で中世期の代表的城下町として栄え「西の京」と言われる歴史の町です。此処にある県立山口文書館は日本初の公文書館として昭和34年に設立され、明治以前の毛利文庫に収録されていた藩政時代の小文書~明治・現代までの行政小文書を所蔵してあります。

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2005.02.04

諫早

長崎県諫早市は雲仙岳の景勝地があり諫早公園には、当地出身の詩人伊東静雄の詩碑があります。詩集「わがひとに与うる哀歌」で詩人としての地歩をきずき「夏花」「春のいそぎ」「反響」などあります。歌人吉井勇の・・水きよき本明川のほたるにも 小さきいのちありていとしも・・と刻まれた「蛍塚」も立てられています。

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2005.01.30

日本最大の鍾乳洞秋吉台と秋芳洞

秋吉台と秋芳洞  日本最大の鍾乳洞は、山口県美祢郡秋芳町 にあり、驚く広さの鍾乳洞です。また山口県門司市は、門司トンネルが出きるまでは下関へ船車連絡していたところで、和布刈(めかり)神社の庭前に・・夏潮の今退く平家亡ぶ時も・・と刻まれた高浜虚子の句碑が建つ。
「柳の御所」は、源氏に都を追われた平家勢と一緒に西下して来た安徳天皇の行在所があったところで、・・都なる九重の奥の恋しくば柳の御所に立ち寄りて見よ・・の歌碑が建つ。

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2005.01.28

能登島

七尾湾に浮かぶ能登島の風景を見た後は、平家物語 能登守教経の活躍ぶりは如何に・・壇ノ浦合戦での舟から源氏めがけて散々に射まくった凄まじさに源氏兵も手が出せなかった、獅子奮迅振りを見ていた知盛は止めさると、今度は源氏の舟に乗り移り義経を捜しまわりとうとう義経の舟を見つけた。教経が刀を振り上げ切りかかろうとしたとき、義経ひらりと躍り二丈も離れた隣の舟に飛び乗った。観念した教経に土佐国住人・安芸太郎実光と弟次郎・郎党一人が舟に飛び乗り打ってかかったが、郎党一人を海に投げ飛ばし、太郎と次郎を両手に締めてそのまま海に沈んでしまった。このとき26歳でした。

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2005.01.26

宇治川

京都善峰寺京都市西京区大原野小塩町にあり紅葉の季節には是非訪れたい所です
京都伏見区宇治市の宇治川は平家物語で有名です。宇治川での義経の活躍は、寿永三年一月十一日に木曾義仲は平家追討の為西国へ出発する旨を頼朝に申し上げ十三日には出発と決まったところへ頼朝が義仲の狼藉を鎮めるべく範頼、義経軍を差し向けたと聞いた義仲は驚き、宇治、勢多の橋板を外し、防禦に当たらせた。

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2005.01.23

松山の伝説

四国・香川県で生まれた弘法大師が方々に建られた遺跡から八十八ヶ所の霊場が選ばれ、お遍路さんが誕生した。松山市道後温泉の石手寺にお遍路さんの元祖のような人物の話が伝えられている。
伊予の国守・河野氏一族・衛門三部郎豪族は、人々から鬼のように恐れられていた。或る日門前に立ち施しを求める一人の旅僧を追い払ったが、追われても、追われても毎日現れ、8日目に腹を立て帚の柄で叩きつけ、僧は鉢で受け、鉢は砕け僧の姿は消えた。

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2005.01.22

道後温泉

松山・道後温泉・坊ちゃん列車一番下の道後・カラクリ時計スライドショーに感嘆!!
松山の文学としての歌碑
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王
皇祖神の神の命の敷きいます国のことごと湯はしも  山部赤人
春や昔十五万石の城下かな    正岡子規
南無大師石手の寺よ稲の花    々
朝寒やたのもとひびく内玄関    松山出身正岡子規の子規堂にある。
春秋冬冬を百日桜かな       俳人・松浪東洋城の住んだ一畳庵にある。
山屏風春のこたつにこもるかな   々

伊予節   ・・伊予の松山名物名所 三津の朝市 道後の湯・・

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2005.01.21

大宰府天満宮

京都の北野天満宮・山口の防府天満宮とならび学問の神様・菅原道真が祭られている日本三大天神の一つ・大宰府天満宮は、福岡県二日市にあり、此処の文学、伝説については二日市にあります。
平家物語の「大宰府落ち」のあらすじ
大宰府に落ちた平家は、九州に都を定める話もでたが、九州の豊後国は頼資の所領でその子・代官・頼経のもとに平家掃討の文面が届き惟義に命じたため、謀叛の報が平家に流れで沙汰止みとなった。惟義の命が九州中に伝わり、平家軍は、筑後国を越え高野の本庄で惟義軍と戦ったが各地から押し寄せる大軍にかなわず引き退いた。大宰府に押し寄せるとの報で一斉に逃げて平家は葦屋の津を過ぎ、山賀城に籠ったが、ここにも押し寄せるという知らせで海に出た。長門国は知盛の所領で、目代・通資は平家に救いの手をのべ小舟で漂う平家に大船百艘余を提供され、四国に渡り阿波民部重能の指図で讃岐の屋島の磯に御所が急造されるまで大船一艘が御所だった。

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2005.01.19

富士川

2005年1月1日~の素晴らしい雪におおわれた富士山とても美しい風景です。東北に住む者にとって感嘆のサイト様です。
平家物語の富士川編 福原に頼朝謀叛で集まる源氏兵が増していく情報が流れ、、維盛、忠度、忠清軍勢は、9月18日に新都福原を出発し、19日に京都に着き、翌日東国へ追討の軍は野を踏み山を越え、河を渡った。荒原の夜露とともに眠り、高峰の苔に枕した。10月16日駿河国清見ヶ原関に着いた、先陣は浦原、富士川に進み、後陣は手越し、宇津谷にひかえていた。頼朝は鎌倉を立ち、足柄山を越えて駿河国黄瀬川に着いた。甲斐、信濃の源氏兵も馳せ参じ、浮島で勢揃いした時は20万騎になった。10月24日早朝6時に富士川で源平の矢合わせと決まる。つづく

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2005.01.07

2005/1/3の富士山

清水港からの富士山広重の東海道五十三次で有名な由比町薩垂(さった)峠から東名高速を見下ろす薩垂峠縦画像は素晴らしい一枚です。此処で思い出すのが「東海道中膝栗毛」初編は享和2年(1802)です。作者十返舎一九の本名は重田貞一で駿府の生まれ、この本は板下も挿絵も一九がひとりで作成した本。旅行が極めて不自由な時代であったので評判がよく、二編、三編と発行していくうちに売れ行きは広がり。十返舎は有名になっていった。

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2005.01.06

鹿島市

茨城県鹿島市 真野川にある集落。真野の萱原に「万葉集」卷三に掲載されている笠女郎の・・みちのくの真野のかやはら遠けども おもかげにして見ゆというものを・・歌碑がある。これは、万葉時代に大伴家持が奥州征定使として赴任していたとき笠女郎が家持を恋慕って詠んだものであり、真野は蝦夷攻略の最前線基地で、古代東北文化の中心地。・・陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆというものを・・万葉集巻3 笠女郎
相馬氏~伊達氏~豊臣の全国一統につながっていくのです。

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2005.01.05

松戸市

古くは馬津里・うまつのさと・あるいは松里と呼ばれ「更級日記」に「松里の渡」と書かれた所で、人馬の往来の激しい宿場町であり、馬の売買が行われた松の多い町の意からと言う。
西蓮寺のあたりは伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台となった所で境内にその一節を刻んだ文学碑が建ち、また「矢切の渡し」は「野菊の墓」に出てくる渡し場。

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2004.12.31

水鳥の楽園

新潟を紹介するblog: 不可能を可能にした一枚! 信濃川沿いのウミネコ(新潟県新潟市)#moreとてもくるとしに向かって物思いに沈む水鳥を感じる風景です。完全復帰おめでとう!!酉年に向けてお互い頑張りましょう。オニバスやミズアオイなどの水生植物が密生し、ほとんど自然のままに保たれている湿地の佐潟で佐渡汽船とウミネコとてもやすらぎを感じる風景です。ネットで送る年賀状活用いただきありがとう。

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2004.12.13

鯵ヶ沢

青森県の鯵ヶ沢 友人が旅された鯵ヶ沢(あじがさわ)は、魚のアジからでなく、足場の悪い交通の困難なところのアシからきてるといわれています。
民謡・鯵ヶ沢甚句 

西の八幡 港を守る 主の留守居はノー嬶(かか)守る
ソレヤ嬶守る 留守居は ノー嬶 守るヤァードセ ヤァードセ
七里長浜 高山稲荷 松の屏風にノー潮煙り ソレヤ潮煙り屏風に ノー潮煙りヤァードセ ヤァードセ
鯵ヶ沢育ちで色こそ黒いが 味は大和のノー吊柿 ソレヤ吊柿大和の ノー吊柿ヤァードセ ヤァードセ
の元唄は、素朴な盆踊唄「鯵ヶ沢口説」で、津軽甚句や木造甚句のどの下地にもなっていて、港町は津軽藩の玄関口として栄えたところ。

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2004.12.03

旨い地酒

新潟市の典型的な手造りの名酒で、生産量も少ないので、幻の名酒とまで言われる「越の寒梅」。辛口ですがサラッとした舌ざわりは飲み飽きがなく持続性が強いと言われています。柏崎市には、文化十一年創業で、現在はオートメーション化していますが、伝統的な地酒の良さを残している「越の誉れ」があります。その他新潟市は、仏壇の製造が盛んです。真宗王国ではありますが、形式とは異なる東西折衷型を地場産業的に製造してます。柏崎市の明治の初めに発売されたそばまんじゅうからついたという「明治まんじゅう」こしあんが口当たりがよく美味しいです。充電して一段と大きくなって戻ってくるのを待ってます。新潟を紹介するブログさん

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2004.10.27

人吉の伝説

五木村~その奥の五家荘村落は、一説には壇の浦の合戦で敗れた平重盛の三男・
清経の子孫だとも言われている。その昔日向の国浦和に塩田長者が住んでいて、
娘・花の木のもとに夜ごと通って来る男に気づくが、娘は知らないと言う。
ある夜長者はひそかに男の衿に糸をつけた縫い針をささせ翌日糸をたどると日向、
肥後、豊後の境の姥岳神社の岩穴に通じていた。すると中からうめき声がするので

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2004.10.26

人吉

熊本県人吉市 日当たりの良いところ、日照り時間の少ない深谷急流の奥に
見出した盆地で、人吉城跡がある。
人吉を中心に球磨川沿いに歌われる「球磨六調子」は激しく軽快な調子の祝唄。
人吉から20kmほどの奥深い五木村には、「五木子守唄」がある。
・・おどま勧進勧進あん人達ァよか衆・・これは地元で
・・おろろんおろろん おろろんばい・・で子守りの悲しみが歌われて哀愁がある。

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2004.10.19

おもしろ博石館

ストーンミュージアム博石館は、岐阜県恵那郡蛭川村にある石ばかり集めた博物館で、何があるのかな?と子供も大人も興味があります。路傍の石~宝石までありますが、蛭川村は日本の鉱物の三大産地のひとつです。鉱物とは地殻のなかに含まれる天然の無生物のことで、宝石も含まれます。資料館には蛭川村で採掘されたサファイア・トパーズ・水晶などの原石が展示されていました。その他原爆で被爆した石、万里の長城の積み石などあり、石のことをいろいろ学びました。

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2004.09.26

千葉県我孫子市

志賀直哉作:雪の遠足は、我孫子の布施の弁天へ雪道をK君・H君とついてきた子犬と行った時のことで、途中昨年まで来ていた植木屋の家があった。 

低い生垣を廻らした苗木畑には高野槙、木斛(モッコク)などが一丈程の高さで押し合い、へし合い繁っていた。それらを作っていた人の家は死に絶え、今は木だけが繁っているというのは一種不思議な気持がした。空家が屋根に雪を頂き夕闇の中に凝っとしているのも淋しかった

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2004.08.06

春の沖縄に訪れた思い出

今も沖縄の海は綺麗ですね! もうずーとずーと前沖縄に3月の末訪れたとき海水があまりにも清んで綺麗でカラフルなお魚が泳いでた。いまでも目に浮かぶ美しい青い海ばら・砂浜。1500年代中頃に造られたとされる首里城の第二桜門。今の残っているのは守礼門の前で撮った記念写真だけ石垣島から八重山諸島へ3泊4日の旅でした。

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