宮城・福島・茨城・栃木

2004.06.29

黒磯市

黒磯の昔話 那須湯本温泉に≪殺生石≫がある。
 12世紀中頃近衛天皇がご寵愛されていた玉藻という美女を
 陰陽師が占なってみたら
 {中国の幽王・段の周王・天笠の皇太子の女となりそれぞれ国を亡ぼした
 金毛白面九尾の狐で遣隋使の吉備真備について日本へきた}という。
 皆仰天して調状祈祷を行った。
 玉藻は九尾の大狐なって飛び去った。
 三浦介義明と上総介広常が追討射止めたが死体は石になり
 触れるもの上を飛ぶ虫や鳥まで殺す毒気を放った。
 次に玄翁和尚が祈祷し金槌をふりおろすと石はくだけ一つは
 会津に一つは備後に飛んだ。それでも今直異臭を放っている。

 この石は輝石安山岩でガスを墳出する硫黄孔がある。

黒磯市高久町 近くに那須山麓湿地群高久甲・高久乙がある。
 ≪遊行柳≫ 文明2年(1470)遊行十九代尊晄上人が行脚の折りこの木の下
 で柳の精と歌をよみかわしたといういわれから遊行上人行脚の際はこの柳の
 下で和歌一首を詠む習慣があったと伝えられる。

 元録2年(1689)4月芭蕉が奥の細道紀行でたちより詠んだ。
  ≪田一枚植えて立ちさる柳かな≫

 蕪村は≪柳散 清水涸 石処 ≫と詠んだ。那須町芦野温泉神社内

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2004.06.28

宇都宮市

宇都宮市 下野国の一宮(二荒山神社)いちのみや~ウツノミヤ
 二荒山神社の別号・宇都宮大明神に由来すると言う。

 羽黒山麓に≪野口雨情旧居と詩碑≫があります。
 ≪あの町この町 日が暮れる・・・・≫
 昭和19年1月ここに住みはじめ20年1月27日62歳の生涯を終えた。

氏家 宇都宮氏を氏家という。源氏につながる武家。
 宇都宮公頼が建久年間に築城した氏家城跡がある。

西那須野
 妙雲寺境内に尾崎紅葉の碑や
 芭蕉の句碑があります。
 ≪初しぐれ猿も小蓑をほしげなり≫
 黒羽町役場前庭に ≪かさねとは八重撫子の名なるべし≫
 淨法寺 ≪山も庭も動き入るるや夏座敷≫
 雲厳寺 ≪木啄(きつつき)も俺は破らず夏木立≫

黒磯市 那須岳の黒い火山灰に敷き詰められた土地が磯のよう・・
 那須町湯本に芭蕉の句碑 ≪石の香や夏草赤く露あつく≫
 芭蕉高弟中川乙由の門人・麻生≪飛ぶものは雲ばかりなり石の上≫ 

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2004.06.27

栃木市

 栃木県中央公園
≪水・緑・文化≫がテーマの広大な公園
20m吹き上げる大噴水や大池・日本庭園・フランス風庭園など
栃木の自然・歴史・文化・民俗など集めた栃木県立博物館もあります。

栃木市 栃の木が生い茂っていた土地を開拓したところ。
 栃・橡は木工細工に適した木材で家具などが造られている。

大平山神社は天長4年(827)慈覚大師により創建されたと言われる。 
大平山県立自然公園内の≪謙信平≫は
寛永11(1568)年関東平野を競いあった越後の上杉謙信と小田原の北条氏康は
大中寺で仲直りし謙信は軍を引き連れて太平山に登り兵馬の訓練を行ったところ。

栃木出身の山本有三の文学碑があります。
 ≪たったひとりしかない自分を たった一度しかない一生を 
   ほんとうに生かさなかったら 人間生まれてきたかいがないじゃないか≫

小山市思川は藤原秀郷が天慶2年(939)平将門討伐の思いをこめて川の東に
京都の祇園神社を分祀したのが須賀神社でそこから思川となったと言う。 

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2004.06.26

佐野市

足利フラワーパーク
自然環境保護を前提に自然を残しながら造られた。
園内は段差がなくコンクリートをなるべく使わないようにしてあります。
地下には260tの炭素を埋設して清々しい環境を作り出しています。

佐野市 唐沢山をはじめ足尾山地に囲まれ南と西に伸びた野原。
人丸神社 877年 柿本人麻呂を祀って建てられた古社。
 境内に人麻呂が詠んだ歌碑があります。
 ≪志もつけの安蘇野の原のあさあけに もやかけわたるつづら草かな≫
佐野の昔話
 館林に分福茶釜で有名な茂林寺がある。
 美濃の通禅師が諸国を行脚して榛名山麓にさしかかると若僧に呼び止められ
 {弟子にしてください}と頼まれて守鶴という名を与え二人は旅を続けた。
 上州館林で寺を開く。
 守鶴は学も書もよくできた。それにいっこうに年をとらず禅師が亡くなり
 二代~三代~七代目の月丹禅師に至った。
 寺は栄え多くの僧が集まり湯を沸かすのに禅師に{大きな茶釜がほしい}と
 言われ守鶴がどこからか持ってきたのが分福茶釜でいくらお湯を汲み
 だしても減らない。
 このころから守鶴はただ者ではないという噂が広まった。
 十代目嶺月禅師のとき守鶴は
 {拙僧は数千年を重ねた狸で釈尊説法を聞き唐に渡り日本に来て八百年になる}
 といい生前の釈尊や源平合戦の様子を語るとどこかへ飛び去ったと言う。 

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2004.06.25

日光市

中禅寺湖
男体山の噴火によりできた堰止湖
東西に細長く南岸は八丁出島など岬が多くあります。

日光市 二荒山神社の二荒をニッコウと音読して日光となった。
 葛西善蔵が湯元に滞在し書いた≪湖畔手記≫の一節の
 文学碑が湯ノ湖唯一の半島兎島にあります。
 ≪秋ぐみの紅きをかめば酸くしぶく タネあるもかなしおせいもかなし≫

日光の昔話
 野州の日光山と上州の赤城山が神戦をしたくわしい記録は
 二荒神社に伝えられている。
 日光の神は大蛇になって戦い、赤城山はムカデになって雲に乗って攻撃し
 日光が負けそうになった時に猿丸太夫という弓の名人が加勢し赤城の神を
 追い払った。その戦場が≪戦場ヶ原≫、血が流れた沼を≪赤沼≫といい
 1月4日の武射祭り
  ・神主が山に登って赤城に向かって矢を放つ儀式・が行われる。

戦場ヶ原
男体山の西に広がる草原化が進んだ湿原状の高原
湯滝から竜頭の滝まで湯川に沿って湿原特有の植物があります。

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2004.06.24

足利市

足利学校 
平安から鎌倉期に創立されたと伝えられる日本最古の学校跡です。
正門に寄棟造本瓦葺の聖廟・堂内中央に孔子坐像・
右に小野篁(おののたかむら)・左に徳川家康の神位が祭られています。

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2004.06.23

結城・岩瀬

袋田の滝 
久慈川の支流・滝川の上流にある高さ120m・幅73mで
那智・華厳の滝とともに日本三大瀑布の一つとされ
西行が絶賛したと伝えられています。
四段に分かれて落ちるところから四度の滝とも呼ばれます。

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2004.06.22

水戸市

西山荘 
≪水戸黄門様≫の徳川光圀が元録4年~13年に晩年を過した隠居所。
茅葺屋根木造平屋建てで書斎の丸窓から築山と心字の池が眺められる。

水戸市 水戸は水門で那珂川を堰き止め水田を作った。
愛宕町曝井に高橋虫麿歌集の歌碑があります。
≪三栗の那賀に向かへる曝井の絶えず通はむそこに妻もか≫

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2004.06.21

牛久市

霞ヶ浦帆曳舟
大きい白い帆にいっぱいの風を受けワカサギ・シラウオを捕まえる
≪帆びき漁≫は夏の風物詩です。

牛久市の伝説
 寺の小憎が沼のほとりで昼寝しているところを和尚に起こされ
 びっくりして大きな牛になり沼に飛び込み沈んでしまったと言う。
 それでこの沼を牛食う沼→牛久となったともいわれたと言う。

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2004.06.20

土浦市

霞ヶ浦町郷土資料館
三層のお城をイメージし館内に帆曳舟の模型・魚具・農具が展示。
町の歴史を実物とパネルで紹介しています。

土浦市 十一の浦からなる集落があった。
紀貫之の歌 ≪桜川瀬々の白波しげければ 霞うながす信太の浮島≫
徳富蘆花の小説≪漁師の娘≫の舞台ともなった。
土浦城跡には土浦生まれの高田保の句碑がある。
 ≪あの花もこの花もみな春の風≫
 随筆に≪ぶらりひょうたん≫があります。

万葉集に筑波川に合流する男女川(みなのがわ)を詠んだ歌がある。
≪筑波嶺の石もとどろに落つる水世にもたゆらにわが思はなくに≫

江戸時代末期1864年3月に水戸藩藤原小四郎が田丸稲之衛門を首領とした
天狗党が筑波山に尊穣の兵を上げたのが天狗党の乱。

筑波山
山頂はイザナギノミコトを祀る男体山とイザナミノミコトを祀る女体山に分かれ
馬の耳のような形をしており冬は山腹は麓より暖かくみかん・野菜が生育する。
昔話
 祖神が国々を巡られ日暮れに富士山に行き一夜の宿を願うと
 {今晩は新宵祭でもの忌みをしているから}とことわられ
 筑波山へ行くと{今晩は新宵祭ですがどうぞお泊り下さい}といい
 沢山のご馳走をいただいた神はたいそうお喜びになり、
 {この山は永く栄え人常に来たりて遊び、飲食踊歌絶ゆるときなし・・・}
 というようなめでたい歌を詠まれた。それで
 筑波山は楽しい山になり富士山は雪が多くて食べ物に不自由していると言う。

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2004.06.17

鹿島市

鹿島神宮 東国三社の一つ
社殿は徳川家康・その他秀忠が再建。
タケミカヅチノミコトを祀り常陸の国の一の宮で軍の神様
神功皇后の三韓征伐の故事による祭りで十二年に一度の大祭
船のパレードは迫力がある。

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2004.06.13

相馬市

相馬市 中村城跡の各地には桜が見られます。
昔話
 平将門ゆかりの地相馬では野馬追い行事が行われます。
 これは平将門が軍事訓練として敵に見立てた野馬を追い、
 捕らえた馬を神前に奉じた妙見の祭礼にならったものと言われます。
 天慶の乱で将門一族は滅亡したが将門の三女・滝夜又姫と兄の
 将軍太郎良門は人知れず落ち延びたと言う。
 姫は表向き四ツ倉の恵日寺に隠れ住み地蔵信仰を説いて歩いたと言うが
 父の遺志を継いで同志をつのり古御所から挙兵する。
 人心をつかみ勝軍地蔵の妖術を使って相馬一帯を握るが源頼信派遣軍の
 攻勢で陥落し、太郎良門は滅びた。
 姫は純白の馬にまたがり中村の牧馬の群れにまぎれこみきえた。
 牧馬は相馬重胤(しげたね)氏が1323年小高城に移住した当初から
 相馬でも馬を使った訓練をはじめたと伝えられています。
 姫の白馬は関ヶ原の戦いで領土を失った相馬氏にお家再興を知らせに
 来たりしたと言われています。 

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2004.06.12

福島市

大内宿 江戸時代の宿場町の風情が残る。
江戸時代には会津若松と栃木県の今市を結ぶ会津西街道の宿場町
として栄え旅の要所として重要な役割を果たしてきました。
整然とした屋敷割りや本陣・脇本陣など当時の姿が見られます。
昨秋訪れとても美味しかったシコシコ新蕎麦とカッラと揚げたアツアツ舞茸の天ぷら。
舞茸はブナ林に多く生え茸が舞っている様に見え、食べてあまりの美味しさに
踊りだしてしまうところからつけられたとも言われる。

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2004.06.11

松川町

磐梯吾妻スカイライン
 吾妻連峰を縫って走る全長28.8kmの山岳有料道路です。
白樺の峰・つばくろ谷・天狗の庭・浄土平・双竜の辻・湖見峠・天風鏡・
国見台の景勝地があり美しいブナ林・荒涼とした火山地帯が見られます。

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2004.06.09

二本松市

二本松市 
 十一代畠山義継が伊達政宗に滅ぼされたあとその子国王丸が
 山形城主水野の客将となり二本松義綱を名乗った。
安達太良山は往古より檀・紅葉で知られ歌われている。万葉集巻14 東歌
≪あだたらの嶺に伏す鹿猪のありつつもあれは到らむねどな去るそね≫
霞ヶ城県立自然公園内に智恵子抄詩碑
≪あれが阿多多羅山 あのひかるのが阿武隈川≫
 土井晩翠の歌碑
≪花ふぶき霞が城のしろあとに 仰ぐあたたら峰の白雲≫

二本松城跡は戊辰の役で二本松少年隊が玉砕をとげたところ
で大隣寺には群霊塔や遺品がある。

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2004.06.08

郡山・須賀川

鏡石町 牧場の朝の誕生した所
 作詞・杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん)  作曲・船橋 栄吉
大正元年(1912年)に岩瀬牧場を訪れたとき詠んだ詩
≪ただ一面に立ちこめた牧場の朝の霧の海 
   ポプラ並木のうつすりと黑い底から
     勇ましく鐘が鳴る鳴る かんかんと≫
朝日新聞出身の文人で随筆「湖畔吟」などを残した。
鐘は明治13年オランダから同牧場へ贈られたもの。

須賀川市池上町の十念寺境内に芭蕉の≪風流のはじめや奥の田植歌≫
と俳人多代女の≪終に行く道は何処ぞ花の道≫句碑が建つ。
宇津峰は南北朝時代1353年に北畠顕信守永王が北朝に敗戦した所。

安土桃山時代に日和田の山王館址で伊達政宗が軍法会議を開き
逢瀬川で佐竹・芦名・白河・二階堂の連合軍による郡山城の襲撃
に対し伊達政宗軍が阻止し衝突した場所。

郡山城主伊東重信の墓碑が郡山市富久山町≪日吉神社≫にある。
日和田の安積山公園山腹に作者未詳の歌碑がある。
≪あさかやま影さへ見ゆる山の井の浅き心をわがおもはなくに≫
片平にもう一つの安積山公園山の井清水がある。

地元郡山にはいろいろあるが一番は開成山大神宮 です。 

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2004.06.07

白河南湖神社

白河南湖神社
白河市 ここの川の水は清冽な湧き水を集めて流れる。
 平安中期女流歌人和泉式部が父の病で帰郷したが兵乱のさなかの為
 堂宇を設けて鎮まるのを待った時の庵石の遺跡が残る。
 父にはあえず一首送り京へ戻った。
 ≪白河の関にこの身は留めども心は君の里にこそゆけ≫
 白河の関近くに化粧沼があり式部が水鏡として黒髪を櫛けずった場所
 で道路沿いから看板が見える。
 

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2004.05.28

鳴子・陸前古川

鳴子熱帯植物園
 鳴子温泉郷・中山平温泉にあり地熱を利用した熱帯植物園。
 ハウスではハイビスカス・サボテンの花が咲き、バナナ・
 マンゴー・コーヒーの実がなっています。

日本こけし館
 昭和51年完成 東北各地で11系統あるこけし約5000本や木地玩具展示。
 鳴子はこけしの最も古い生産地であり、頭と体のバランスがよく端正な
 顔立ちで描かれる模様は菊に限られています。

間けつ泉 弁天
 鬼首(おにこおべ)荒雄岳の南山麓吹上沢の周辺にはたくさんの
 間けつ泉や湯の流れる沢があります。
 定期的に15mも噴出するもの、静かに干満するものなど
 弁天は15分毎に20mも噴き上げます。

陸前古川 
 足利尊氏により奥州総奉行に任命された大崎氏家臣
 古川刑部・古川弾正らが勢力を張った地。
昔話
 三本木の館山にある館山城跡に昔渋谷某の土豪が住む城があり、
 伊達政宗からの投降勧告の使者を斬捨てたので政宗は城を包囲し、
 夜松明をアカアカと燃やすと突然鶴の羽ばたきで明かりは消え、
 城は北へ移動する。
 政宗の所へ武士が現れ
 {城攻めの秘策を教える代りにお墨付きを頂きたい}
 と言って鶴の地形の翼のあたりから攻めよと教えた。
 落城し主は討死し、武士はお墨付きを要求したが主を裏切る者は
 自分も裏切ることになると言ったので恥じて自ら果てたと言う。
 いまも片羽の鶴がこのあたりを飛ぶと言う。

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2004.05.25

石巻市

陸中海岸国立公園
 岩手県久慈市から宮城県気仙沼市までの約180kmまで及ぶ陸中海岸
 北は100mを超す断崖が断続的に連なる勇壮な景観が続き、
 南はリアス式の入り組んだ美しい海岸線と変化に富んだ海岸線を連ねる。

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2004.05.18

松島

松島 260余の島が湾内に浮かぶ日本三景の一つ
海岸線に沿って観欄亭・五大堂・伊達菩提寺・瑞巌寺・円通院が並び
みちのく伊達政宗歴史館・松島オルゴール博物館・マリンピア松島水族館・
藤田喬平ガラス美術館などあります。

瑞巌寺(松島寺)奥州隋一の禅寺で伊達家の菩提寺。
天長5年慈覚大師が創建北条時頼が禅師とし後荒廃慶長9年政宗再興した伝え。

松島海岸の昔話
 鎌倉時代に瑞巌寺の住職として中国の覚満禅師がきて呪文をとなえながら庭の
巨石に水をかけ続けるとどんどん吸い込まれていくので皆不思議に思っていました。
その後中国の径山寺から{失火の折り鎮火の助けを受けた感謝の印しです}と言う
一通の書状を添えた巨大な鈴が送られてきました。
鈴コウリン(火鈴の唐音)様は大晦日の夜雲水に抱えられて島・町をめぐり
朝日が輝くころ本堂に安置されると言う。

山寺の昔話 山形県の宝珠山立石寺
 山寺の立石寺は貞観2年慈覚大師が建立した。
芭蕉句碑{閑さや岩にしみ入る蝉の声}があります。
 さる姫が奇病にかかり夫婦になる約束で山猿にもらった木の実で快復し泉ヶ岳で
磐司と磐三郎が生まれ兄弟は番山から宝珠山までで狩をしていたが一頭の白鹿を
追って日光二荒まで来てしまった。
二荒神は赤城山の大百足と苦戦していたので白鹿を使い呼び寄せたのでした。
兄弟は大百足の眼を射抜いたので礼としてどこで狩をしても言いと言った。
峠にさしかかった比叡山の円仁僧は余りにも山を荒らす兄弟を戒め衣を広げすっぽり
と宝珠山を包み兄弟に守護するように言いい寺を建立した。
宝珠山は灰色の奇岩怪石で覆われ老松老杉が生えている。

円仁は延暦13年下野国都賀郡豪族・壬生氏に生まれ小野大慈寺住職広智
のもとで修行しその後比叡山に登って伝教大師最澄の弟子となった。
延暦寺の座主日本初の大師号・慈覚大師の諡号(しごう)が授けられた。
天長6年(829)から天長9年(832)まで東国巡礼の旅に出て天台宗を広めた。

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2004.05.17

岩沼

大崎八幡宮 慶長12(1607)年完成
伊達家第一の守護神社です。黒漆塗りを基調にまばゆいばかりの彫刻金具
と彩色がほどこされた社殿は天地権現石の間造りの様式で桃山美術を感じます。

岩沼の昔話
 竹駒稲荷神社を信仰するまじめで貧乏な猟師の政治郎は猟でキジ一羽だけ獲り
帰り道であった稲荷狐が雪で食べ物がなく子狐がお腹すかして待っているのです
と言うのでキジを与えた。
翌日は二羽のキジ、次の日は三羽のキジを与え貧乏は続いた。
春になると美しい娘が訪れて助けていただいた狐です大名へ奉公するのでお礼に
仕度金の小判を置いてゆきましたので政治郎はそれで商売をはじめました。
狐は年期が明けたお祝いの宴でシッポをだしてしまい竹駒稲荷の狐とわかりお土産
を沢山いただき政治郎に届けました。

小牛田の昔話
 幸村の信心深い百姓伊藤孫右衛門は見るからに疲れ果てた旅の僧が食を乞うので
食事を与え{私は浄土に参りたいと願っています。お導き下さい}と頼むと
僧は{朝夕念仏をとなえましょう}と言う。
孫右衛門はそれから毎日寝食の世話をしましたが、僧は寝てばかりいて何もしない。
半年程して食事を運んでいくと布団の中に牛がいて顔だけが僧であった。
{貴方を騙して徒食した罪で牛になってしまい元には戻れませんので働かしてください}
と言い、それからよく働いた。
やがて孫右衛門は長者になった。
牛が死んだあと大日堂を建てて祀ってやった。

船岡城跡に一本だけ残って聳え立つ樅ノ木
 山本周五郎作の樅ノ木は残ったの文学碑もある。
伊達騒動で有名となった原田甲斐氏と幕末まで統治した柴田氏の居城跡。

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2004.05.16

仙台市

 仙台城≪青葉城≫標高120m
東と南を断崖に築かれ家康の警戒を避けるため天守閣を置かなかったと言う。
石垣と再建された隅櫓が昔をしのばせます。
政宗公騎馬像・土井晩翠の≪荒城の月≫歌碑・島崎藤村文学碑ある。
西公園  城跡の北東方広瀬川の左岸沿いの市民公園
 芭蕉句碑     風流のはじめや奥の田植うた
 浜夢助句碑    雪国に生まれ無口に馴らされる

飛鳥時代の藤原氏の祖 藤原鎌足→藤原魚名→藤原実宗が常陸介となり
伊佐荘中村(下館市中館)に子孫の朝宗が伊達氏の祖となり藤原泰衡追討
の戦功で陸奥伊達郡を賜り高子岡(保原町)で伊達となった。

17代政宗は二本松城主畠山義綱・磐梯山麓の磨上原から黒川城主蘆名氏・
須賀川城主二階堂氏征伐。陸奥・常陸・近江領合わせて62万石になった。
子秀宗は伊予の宇和島に伊達家起こした。

昔話
 1718年仙台藩家老片倉氏の剣術師範田辺志摩は白石領内で足立村百姓
四郎左衛門が前をよこぎったとき斬った。四郎左衛門の2人の娘は仇討ちを志し、
伊達家剣術師範滝本伝八郎に剣術を習い腕を上げ5年後に白鳥明神境内で仇
を討った。姉は伊達家に妹は大子路家の養子になった。

作曲  納所弁次郎の出身地
兎と亀 作詞 石原和三郎
 もしもし かめよ かめさんよ せかいのうちに おまえほど
 あゆみの のろい ものはない どうして そんなに のろいのか
おつきさま 作詞 石原和三郎
 おつきさま えらいな おひさまの きょうだいで
 みかづきに なったり まんまるに なったり
 はる なつ あき ふゆ にっぽんじゅうを てらす
さるかに 作詞 石原和三郎
桃太郎  作詞 田辺友三郎
 モモからうまれたモモタロウ 気はやさしくて力もち

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2004.05.12

会津散策

裏磐梯中津川渓谷
 標高2035mの西吾妻山から秋元湖に注ぐ中津川沿い約10kmにのびる渓谷。
 途中のいくつもの滝、断崖と急流など渓谷美が素晴らしい景色です。

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2004.05.10

続・白河散策

白河神社境内 白河の関跡 奥州道の終点の地 

太平洋側の勿来関や日本海側の念珠関と奥羽三関の一つ 
八代将軍徳川吉宗子で国学者・歌人田安宗武三男の白河藩主松平定信が
旗宿の地に古関蹟碑を建立した。蝦夷防禦の為に設置された。
白河楽翁を号した定信は天明7年(1787)~寛政5年(1793)江戸幕府三大改革
享保・天保の改革の一つ寛政の改革で幕藩体制の建て直しをおこなった。

神殿の脇の林の中にカタクリの花の群生地があった。

奥の細道文学碑があり卯の花が植えられている。 
平成3年奥の細道300年を記念し関の森公園入口に芭蕉と曽良の銅像建立。
能因法師・平兼盛の歌碑など歌枕の地あり 
 能因法師  都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関
 平兼盛   たよりあらばいかで都へ告げやらむけふ白河の関は越えぬと
 梶原景季  秋風に草木のつゆをはらはせてきみがこゆれば関守もなし        
 曾良     卯の花をかざしに関の晴着かな

庄司戻し:
 庄司・奥州藤原氏の家臣佐藤基治は源義経が奥州平泉からの南下で
 子継信・忠信を国境まで送り戻った別れに杖を地に立てたという。
 戦死の結果杖は霊あって花を咲かせたという霊桜之碑が建てられている。

鳥羽伏見の戦いからはじまる戊辰戦争は・・・・
慶応3年将軍第15代徳川慶喜が大政奉還で政権を朝廷に返上。
鳥羽伏見の戦い1868年1月 (慶應4年1月)
薩摩の大久保利通と西郷隆盛の両名は旧幕府勢力と徳川討伐決意。
大阪城の旧幕府軍は薩摩・長州藩討伐のため京都へ進軍します。

勝利した新政府軍は朝敵徳川慶喜討伐を掲げ3軍に別れ進撃開始。
木梨精太郎と海江田信義の両名の率いる東海道軍は江戸へ。
板垣退助・伊地知正治・河田佐久馬・谷千城等率いる東山道軍は甲陽鎮撫隊
新選組と宇都宮で旧幕府軍と戦い2隊に分かれ伊地知部隊は白河城を
板垣部隊は日光を攻め両部隊再合流奥州諸藩従え会津討伐に戊辰戦争へ

山県有朋・黒田了介・福田侠平・白井小助・時山直八等が率いる北陸軍は
反新政府軍河井継之助率いる奥羽越列藩同盟軍と北越戦争で長岡藩討伐。

新政府軍は二本松城占領、母成峠・石莚口を攻撃。
土方歳三の新選組、猪苗代城の会津兵敗退。
会津軍は戸ノ口原で決戦 したが追われ新政府軍は滝沢峠から若松城下へ、
甲賀町郭門・北側各郭門を制覇鶴ヶ城に迫り会津藩は米沢藩の勧めで降伏。

榎本武揚・大鳥圭介率いる旧幕府軍は北海道の箱館(函館)へ
1869年5月の五稜郭の戦いを最後に鎮定された。
北海道南部函館市にある洋式城郭。1857年から建設を始め1864年完成。
江戸幕府が開港地となった箱館の奉行所を置いた。

東村きつねうち温泉・ますつり公園へ

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2004.05.08

白河散策

福島県文化財センター 白河館 まほろん 野外展示 

まほろん ≪野外展示≫≪常設展示≫とがあり、まほろん春の展示は
 郡山市田村町の弥明遺跡(みみょうみいせき)からの旧石器
 大滝根川と谷田川沿いの集落遺跡の石の造型物など
 郡山市徳定遺跡の弥生時代の人の顔形土器
 あぶくま山系の城館跡や近世のお墓・窯跡に関する展示

翠楽苑 南湖公園日本庭園
 1801年楽翁公(白河藩主松平定信公)により築造された≪南湖公園≫
 翠楽苑は緑と湖と水に通じる・楽翁公のから名付けられた。
松楽亭 松の名所で日本庭園の松の中にありと楽翁公のから名付けられた。
秋水庵 楽翁公ゆかりの茶室・遠州流の四畳台目高台寺遠州好茶室を模して建設。
     南湖の命名にも通じる李太白の詩から秋水庵と名付けられた。

アウシュヴィッツ平和博物館
ポーランドにヒトラーがひきいたナチス・ドイツ軍の造ったアウシュヴィッツ強制収容所
ここでアンネ・フランクはアンネの日記愛・希望を失わない少女の思いを綴った。

小峰城
文治元年(1185年)源頼朝の奥州征伐の功績により結城朝光に与えられた。
慶長二年(1250年)結城朝光孫祐広は白河郊外搦目山に白川城築いた。
興国元年(1340年)に北畠顕家の父5代親朝が小峰城を築いた。
7代目の朝修の時小峰氏は断絶し小峰義親(白川結城氏8代目)孫再興する。

永禄5年(1562)鎌倉以来源氏名門佐竹家佐竹義重常陸統一で義親敗れ
義重の子義広を養子にし家督を譲る。

南下してきた伊達政宗に従うが天正十八年1590年秀吉の小田原攻め不参加で
領地没収され会津に入り蒲生氏郷の後会津に入った上杉景勝の支配下となる。

上杉景勝は徳川家康と決戦するため小峰城を修築した関ヶ原の戦い後
再び会津に入った蒲生氏の支配下となるが蒲生氏が1627年に改易になり
幕府から白河に築城を命じられた丹羽長重は城を改築し白河城とした。

丹羽氏は二本松に移り榊原氏・本多氏・奥平氏・越前松平氏・久松松平定信氏・
阿部氏城主となり阿部氏が棚倉に移り白河領は二本松の丹羽氏預かりとなった。

明治元年(1868年)戊辰戦争が勃発。政府軍と会津藩を中心とする
奥羽列藩同盟軍の争奪戦の的となり白河城は落城した。

その後石垣だけでしたが平成3年に天守閣三重櫓・平成6年前御門も復元した。

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2004.03.03

豊橋

熱海梅園
明治19年開園。四季折々の植物と流れる清流、滝のある園内に約730本の梅ノ木が植えられています。

作詞者・海野厚の出身地・脊くらべ中山晋平・作曲で中山晋平記念館もあります。
 柱のきずはおととしの 五月五日の脊くらべ 粽たべたべ兄さんが

その他海野厚・作詞 おもちゃのマーチ(作曲・小田島樹人)露地の細道(作曲・中山晋平)などがあります。
島崎藤村は明治30年に柳田國男から伊良湖岬の浜に打ち上げられた椰子の実の話を聞き作ったのが椰子の実(大中寅二・作曲)で詩碑が日出の石門近くに建っています。 
 名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸をはなれて 

豊橋の昔話 豊橋川の西と東にある本宮山と石巻山は同じくらいの高さで低くならないように登るときは石を持ち、下りる時山の石を持って下りると悪いことが起きると言われています。

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