播州赤穂
兵庫県播州赤穂駅は赤穂線の相生→西相生→坂越→播州赤穂――東岡山。
塩と赤穂義士で知られる旧城下町の玄関駅。
唱歌・・俄にとよむ人の声 夜深き夢を破りけり 折しも寒月色冴えて・・・
作詩:森岡常蔵 作曲:鈴木米次郎の「赤穂義士」は吉良邸討ち入りを歌った。
市内には、赤穂城跡、大石良雄宅跡、大石神社、義士息継ぐの井戸などある。
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兵庫県播州赤穂駅は赤穂線の相生→西相生→坂越→播州赤穂――東岡山。
塩と赤穂義士で知られる旧城下町の玄関駅。
唱歌・・俄にとよむ人の声 夜深き夢を破りけり 折しも寒月色冴えて・・・
作詩:森岡常蔵 作曲:鈴木米次郎の「赤穂義士」は吉良邸討ち入りを歌った。
市内には、赤穂城跡、大石良雄宅跡、大石神社、義士息継ぐの井戸などある。
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下関は上関(熊毛郡上関町)と中関(防府市)の一番西の下に開けた街。
長府博物館 考古資料・長門銭所・維新資料・乃木将軍資料など展示。
乃木記念館 乃木大将少年時代の木像など
東行記念館 東行高杉晋作に関する資料など
日清講和談判記念館 明治28年4月17日 総理大臣伊藤博文と清国の
李鴻章の間で日清講和条約が締結された場所が料亭春帆楼。
下関の昔話
寿永4年(1185)3月24日、源氏と平家は壇ノ浦で最後の決戦を行い遂に
平家は敗れて亡びた。
二位尼は神靈と宝剣を持ち、按察局(あぜちのつぼね)は8歳の安徳天皇を
抱いて海に消えた。
その後甲羅に憤怒の表情を刻んだような蟹が見られ≪平家蟹≫と呼ばれた。
その他鯛に似た姿で金色がかったウロコに白い斑点の美しい魚が現れ、
女官たちの化身だろうと≪小平家≫と呼ばれるようになった。
海に沈んだ玉靈は出てきたが宝剣は見つからず、後白河法皇が賀茂大神宮
に祈ったところ「赤間ヶ浦の老松若松に聞け」とお告げがあった。
老松若松は母娘の海女だったのでもぐらせると戻ってきて次のように言った。
「竜宮城のようなところへ行き宝剣の行方を聞くと竜神のところへつれて行かれ
宝剣を口にくわえ、7~8歳の童児を抱いた竜神がこの剣は元々とワシのもので
須佐之男命に奪われたのが返ってきたのだ。童児は安徳天皇であるといった」
その後安徳天皇の霊は赤間神社に祭られ、
境内には平家一門の墓が7基ずつ二列に並んでいる。
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瑠璃光寺五重塔 山口県山口市香山町
室町中期における最も秀でた建造物で法隆寺・醍醐寺の五重塔と並ぶ
三名塔の一つとされている。檜皮葺屋根造りで高さ31.2mあります。
山口県西部瀬戸内海側の山陽町はかつて厚狭市という名称で
市が置かれており、山陽道の宿場であった。
山陽線の厚狭駅は朝鮮の王子琳聖太子の母に因む地名説と
この奥にある温泉がアサ・アツサの温泉関係の言葉説がある。
暑狭の昔話
山陽町鴨圧厚狭の寝太郎は三年三ヶ月寝て通しあとは食べるだけで
たくわえの食物を食べ尽くしてしまった怠け者だったが、いつのまにか
大川の水を引く工夫をして千町歩の荒地っを開発しみるまに長者になった。
そして120歳まで長生きしたという。
寝太郎神社はこの人を祭ったもので寝太郎は悪兵衛景清の末えいともいわれる。
山陽町埴生には≪和泉式部の墓≫と伝えられるものがある。
墓の傍らに産湯の井戸と称するものが残っており、式部が娘の小式部内侍を
生んだと伝えられ、この辺を赤子の浜・愛寝の浜と呼ぶのも式部に因むという。
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秋芳洞 秋吉台の山麓にある大鍾乳洞
傘づくし・青天井・千畳敷・百枚皿・黄金柱・五百羅漢など
何億年という歳月をかけて形成された自然の造形美。
山陽本線
大道駅は防府市大字台道にあり、海ぎわの台地につけられた道で
応神天皇が宇佐から大和へ行幸されたとき通った道。
台道の市は島津公が参勤公代のおりに休んだ所で昔の面影が残っている
古い家並がきれるあたりに「山口道」道標がある。
四辻駅は山口市大字鋳銭司にあり、駅馬伝馬制度の時代から四通に発達した。
大村益次郎は安政八年(1825)小郡宰判勘場付の医師の家に生まれた。
緒方洪庵に学び塾頭をつとめ、西洋兵学の講義に従事し戊辰戦争では
参謀総長として活躍したが、維新後兵部大輔となり兵制改革を企画したが
守旧派のために刺殺された。
周防鋳銭司跡が周防国府の西約12kmのところにあり、長官は周防国司が
兼任したといわれ約150年間村上朝(946~967)に至るまで日本で唯一の
鋳銭所として存続し、大宝・貞観永宝・永喜通宝・乾天大宝が鋳造された。
昔は山陽街道の灌漑用水として造られた長沢池のあたりでは
幾百年をも生き続けている黒松が見事な枝ぶりを見せていました。
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秋吉台 山口県美祢郡秋芳町
日本最大のカルスト台地 約2~3億年前のさんご礁の跡。
白い石灰岩が無数に点在する。
山口県防府市 昔周防の国の国府があったところ
毛利博物館が毛利邸内にあります。
防長藩主毛利家が代々伝えた書画・工芸品・仏像など展示。
俳人・種田山頭火はこの地方の生まれで萩原井泉に師事した。
感じたままの心情をあらわしていると思われる句碑が建つ。
西佐波令八王子に≪雨ふる故里ははだしで歩く≫
吉敷郡小郡町矢足の雨乞山に≪はるかぜのはちのこひとつ≫
吉敷郡豊浦町 川棚温泉 妙青寺前に≪涌いてあふれる中にねている≫
山口で亡くなった野村望東尼(もとに)の墓が桑山の南西麓にあり、
自力町には宅がある。
江戸時代の歌人で西郷隆盛らや勤王の志士、高杉晋作達を匿った。
南北朝時代の延元元年(1336)7月摂津助公清尊・助法眼教乗らと
上野頼兼の軍が戦った敷山城跡がある。
阿弥陀寺は文治三年(1187)に後白河法皇の冥福を祈願して建立された。
真言宗の寺で奈良東大寺別院。
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山口県山口市 常栄寺雪舟庭園 大内政弘が別荘として室町時代
中頃に画僧雪舟に築庭させたものと伝えられています。
広島県佐伯郡宮島町 宮島口は厳島神社のある島へいく入り口
宮島口の昔話
赤い鳥居の足元まで潮が満ちてくる厳島神社は昔祭神の市杵島姫命に
因んで伊都伎島神社と呼ばれ推古天皇五年の創建です。
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大原美術館
日本初の西洋近代美術館として設立され100点余展示。
分館では日本の近代美術を、工芸館では陶器・版画・染色など
東洋館では中国・インドの古美術など
岡山県総社市 備中国府近傍の地で国内の神社を合祀した総社宮がある。
総社の昔話
室町時代の天才画家・雪舟は秋葉山山麓の宝福寺で育った。
子供の頃修行を怠け絵ばかり描いているので和尚は怒り雪舟を柱にしばりつけた。
雪舟は床に落ちた涙を足の指につけてネズミを描いた、見た和尚はあまりにも旨い
ので感心しそれ以後は自由に絵を描かせたと言う。
寺は南北朝時代の創建で全盛期には六十余坊あったが今は宝福寺と
磐若院という塔頭だけになっている。
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岡山県清音村
明治22年に六村が合併してつけた新村で高梁川の清流の音を表す・・
清音村の昔話
天平勝宝三年(751)四隻の船に分乗した日本の遣隋使(大使が藤原清河で副使が大伴古麻呂と吉備真備)は無事に唐につき長安で玄宗皇帝に挨拶をした。真備(まきび)は文化面を担当し天文窮理の秘本をもらうことだったが、いくつかのテストをされるという前夜なかなか寝付かれないでいるとき人の気配を感じ、
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岡山城 別名 鳥城(うじょう)の名で知られる。
黒塗の下見板、不等辺五角形の天守台や野面積の石垣などの特徴。
岡山県吉備津市 吉備津神社の名により・・
吉備津の昔話
吉備津彦命(きびつひこのみこと)は大和朝廷から諸国へ派遣された四道将軍
の一人で、吉備路の北にそびえる鬼城山の温羅(うら)と激しい戦いをし、傷つ
いた温羅の血は川に吸い込まれて血吸川と呼ばれ、その岸は赤浜と呼ばれる。
追われた温羅は鯉に化けて川沿いに海へ出ようとしたので吉備津彦命は鵜に
化けてその鯉を食べたと言う。
倉敷市矢部にはその古跡の鯉喰神社がある。吉備津彦命を祀った吉備津神社
の創建はかなり古く室町時代には足利義満が25年を費やして本殿を完成したと
いわれ、斬新で豪壮な比翼八母屋造り。山中をはさんだ東側には吉備津彦神社
があり随身門前の庭園は古代様式を伝えている。
≪古事記≫≪日本書紀≫の世界が吉備路に今なお残っている。
吉備路 田園風景の中に美しく聳える備中国分寺の
五重の塔は桃太郎伝説の舞台・吉備路のシンボル。
吉備津神社の本殿・拝殿は桃太郎のモデルとなった吉備津彦命
が祀られ総延長398mの回廊と大きな石灯籠が見どころです。
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岡山市 後楽園
日本三名園の一つ 江戸時代を代表する回遊式庭園
沢の池を囲む芝生、桜・梅・楓・菖蒲などの花々が咲きます。
広島県尾道市の千光寺公園の東端はかつて尾道を訪れた多くの文学者達
の言葉が刻まれた碑の間を縫い文学の散歩道・・・
正岡子規句碑 ≪のどかさや小山つづきに塔二つ≫
徳富蘇峰の碑 (蘆花の兄で歴史家・言論人)
≪海色山光信に美なるかな 更に懐う頼子の出群の才を
淋りたる大筆精忠の気 維新の偉業を振起して来たる≫
十返舎一九の碑
≪日のかげは青海原を照しつつ光る孔雀の尾の道の沖≫
金田一京助の碑
≪かげとものをのみちのやどのこよなきに たびのつかれをわすれていこへり≫
志賀直哉の碑
≪六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ゴーンとなると直ぐ反響が一つ、
又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。其頃から昼間は向島の山と山との
間に一寸頭を見せている百貫島の灯台が光り出す。それがピカリと光って
又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す≫
≪暗夜行路≫の一節で
直哉は千光寺山の中腹に大正元年の秋から翌年の中頃まで過ごした。
林芙美子の碑
≪海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。
汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のやうに
広がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海、
向かうドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。≫
≪放浪記≫の一節で大正五年から十一年まで住んでいた。
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兵庫県明石市 この海中から硯石になる赤い石を産出したと言う。
明石大門は古代、畿の内外をしきる重要な境だった。
柿本人麻呂の歌に詠まれています。
≪留火の明石大門に入る日にか漕ぎ別れなむ家のあたり見ず≫
≪天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ≫
人丸町人丸山の柿本神社にここの伝説ゆかりの盲杖桜・筆柿がある。
淡路島の最北端で明石海峡に面したところが歌枕で名高い松帆浦
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ハーバーランド
港町神戸のランドマーク・・・・ショッピングゾーン・レストラン・映画館・遊園地。
はね橋は夕暮れに約1700個のライトが灯りイルミネーションが美しい。
兵庫県竜野市 雨の神様竜神を祀った野原を開拓した集落。
竜野の昔話
兵庫県揖保郡御津町室津は現在静かな漁港ですが、昔は瀬戸内海交通の要地
として歓楽街が発達し日本で最初に遊女が生まれた地と言われている。
遊女・花漆は平清盛が夢中になり数々の贈り物をしたと言われ、また唐人から
珍品を贈られ天皇に贈ったところお返しに沢山の財宝をもらったと言う。
それを換金して室津に五つの寺を建てたとも言う。
木曾義仲の愛人・山吹御前は友君と言う遊女で法念上人が讃岐へ島送りに
なる途中この港へ寄港した折り、得度をうけ袈裟と自筆の色紙をもらい淨雲寺に
伝えられていると言う。境内に友君の墓がある。
友君は客から金を受け取らないので部屋に祭ってある位牌の花代・線香代
として置いて行きその話が代々花街に残っていると言う。
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兵庫県姫路市 市の中央を流れる市川の下流西岸の小岡を昔、日女道丘から
姫山といい正平二~貞和二年、赤松貞範が築いた城を姫路城と呼んだ。
お夏清十郎の悲恋物語の舞台はこの町で、
お夏は姫路の宿屋但馬屋の娘、清十郎は手代だった。
その他・近松門左衛門の≪歌念仏≫・井原西鶴の≪好色五人女≫
坪内逍遥の≪お夏狂乱≫があります。
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天橋立
日本三景・日本三大松原の一つ。
約8000本の松が白砂の架け橋を彩っている。
天橋立 橋立明神に≪五輪石塔と岩見重太郎仇討ちの場≫がある。
剣豪・岩見重太郎は明神の森で広瀬軍蔵・成瀬権蔵・大川八左衛門らを
塙団衛門 ・後藤又兵衛らの援助で父 ・岩見重左衛門の仇を討った。
丹後半島・水江浦の浦島太郎伝説があり、
宇良神社は浦島絵巻・蒔絵の玉手箱が伝えられる。
文部省唱歌 浦島太郎
≪昔昔 浦島は 助けた龜につれ連れられて
龍宮城へ來て見れば 繪にもかけない美しさ≫があります。
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