大阪・京都・東京・埼玉

2004.10.12

八王子

延喜16年(916)華厳菩薩が城山(旧八王子村)素箋鳴尊の
八人の王子たちを祀ったことに由来するという。
八王子の文学
府中市の南、多摩川の南岸一帯に連なる多摩丘陵は往時の多摩の横山で
相模路~東海路に出るときの通路として親しまれたところ。
・・妹をこそ相見に来しか眉引きの横山べろの鹿なす思へる・・卷14 東歌
八王子市散田の万葉公園に隣の「真覚寺」に「赤駒碑」が建つ。
・・赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山歩しゆからむ 宇遅部黒女・・

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2004.10.11

新宿

江戸時代、甲州街道と青梅街道との追分(分岐点)に新しく設けられた新宿で、
当時内藤修理亮清成(関東奉行)の屋敷があったので内藤新宿と呼ばれていた。

昔は新宿、中野、世田谷、渋谷、大田、豊島などの各区は農村地帯だったころ、
民謡に「東京麦打唄」が唄われた。

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2004.09.06

新橋~品川

新橋とは汐留川に宝永七年(1710)にかけられた芝口橋のことで、
明治五年新橋駅(現在は汐留駅)が設けられ、ここが鉄道発祥の地となった。
その後昭和七年に正式町名になった。
鳥森口・・近くに鳥森神社があるところからつけた名で、昔は駅の西方、
塩竈神社、愛宕山にかけて鳥の棲むうっそうとした森林になっていたと言う。
汐留口は東京湾の海水がそこまでひたひたを押し寄せていたことを示す地名。

品川は目黒川の古名が品川で、品川は砂川の訛ったものと言う。
今ではかわったが北品川に桜田門の変を起こした浪士たちをはじめ
江戸在住の志士たちの利用した土蔵相模があった。

今では昔の面影もないが、沿海防備のため、嘉永六年八月以来一年間に渡り、
昼夜突貫工事で築造された品川沖の台場は財政上の理由で第六台場までで
工事は中断されたが、摂海(大阪湾)に臨む安治川・木津川河口の砲台、
函館の弁天岬砲台と築造されていった。

民謡 羽田町は古い漁師町でここで歌われたのが 羽田節 
・・めでたいものはヨーエィエエ エーマダマダ 芋でエィエー・・・の祝い唄

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2004.09.05

東京いにしえ

歴史を研究していると余り世間の話題にものらない様な事も調べるようになり、
東京大手町のビルの谷間にひっそりたたずむ 将門首塚 がある。
塚は関東大震災後にくずされたが塚の元に将門の墓と称されてきた石燈籠は建つ。
HNK大河ドラマで海音寺潮五郎の 平将門 が登場してから参拝者が
ふえたそうです。平将門の首塚

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2004.07.17

青梅・御嶽

 吉見百穴 比企郡吉見町
発屈当時は先住民族の住居跡といわれたが大正時代に墓穴と確認された。
219の横穴が中に太陽の光を反射し黄金色に輝くヒカリゴケが見られる。

東京都 羽村市 武蔵野の端の意味
 ≪大菩薩記念館≫ 大菩薩峠の著書中里介山の居宅。
 ≪西隣村塾≫邸内には大河小説「大菩薩峠」を書くに使った資料展示。

東京都 青梅市御岳本町の駅名は御嶽駅御岳神社を祀る霊山。
御岳神社山門の小平池に≪中里介山の記念碑≫と
机竜之介の松がある。
昭和31年に建てられた碑面には臼井喬二の文章が
≪ここ武州御岳は名作発祥の地として 永遠に国民の魂と共にあり≫と
正宗得三郎の書で刻まれている。

御嶽の昔話
御岳山頂の御岳神社から奥の院に向かう参道南側に≪天狗の腰かけ杉≫が
あり根回り5~6m、高さ40数mの大木で地上4~5cmのところに太い下枝が
2本横に張り出している。

大昔この地帯に大暴風雨があり神社は強風で吹き飛ばされた。
江戸時代に防風よけに植林された時の杉である。
杉は成長するにともなって下枝がイスのようになるので村人は縄で吊ったり、
当て木をしたりするが又元に戻ってしまう。

不思議に思い見張っていると真夜中に林が鳴り巨人が上がってきて杉に登った。
見ていると大天狗と鳥天狗が横枝に腰掛一休みといった様子。

村人は天狗は神々と共に日夜山を護っていると聞いていたので足を忍ばせて
下山し、以後枝はそのままにしたという。

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2004.07.16

大宮市

さいたまスーパーアリーナ 
コンサート・スポーツ・展示会・見本市などのイベントが行われます。
≪ジョン・レノン・ミュージアム≫や特産品販売の≪彩の国街道≫
も併設されています。 さいたま市中央区新都心

大宮市 氷川神社が武蔵一宮であるところからつけられたと言う。

大宮公園は森鴎外の≪青年≫の主人公純一が先輩の木村にさそわれ
訪れた場面がある。≪二人は氷川神社の拝殿近く来た・・・・≫

明治24年秋に大宮公園内の料亭に泊まっていた正岡子規は松山の高浜虚子
当てに≪公園は人工によりしものにてはこれなく、松樹林立・・・≫と書いている。

大正11年10月ここを訪れた寺田寅彦は写生紀行に静かで落ち着いた
公園の風情をかきしるしている。

日経パソコンが届く7月19日号
特集はメールボックスのルールーの鬼
 メールボックスの整理の仕方
 メールボックスの仕分けを完全自動化する方法
最新チップセット徹底解明
 チップセットはパソコン内部の世界を牛耳る影の主役でCPUとメモリー、
 ハードディスクなどの間に立ってデータの受け渡しを管理する一群のLSIセット
 のこと・・・パソコンにとってこの部品の役割を詳細にわかりやすくそして今後は
 どうなっていくかなど・・・・掲載されている。

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2004.07.15

飯能市

さきたま古墳公園
日本最大級の円墳である丸墓山古墳、金錯銘鉄剣を出土した
稲荷山古墳など9基の大型古墳が集中する埼玉古墳群を中心
としたのが≪さきたま公園≫で桜・菖蒲の名所

飯能市東町  武蔵七党の一つ判之氏に因むとも言われる。
飯能の昔話
 天正18年徳川家康が江戸城に入った当時はまだ城も粗末でした。
 本丸近くや千代田にわずかな集落があるだけだった。
 城の改築や大名の屋敷、町づくりには膨大な材木が必要で武蔵野
 からも木を伐り出して筏に組江戸へ送った。

 飯能の河原町には筏宿が並び賑っていたところへ遊びに来る不思議な
 少年がいた。頭がよく身軽で器用なので≪天狗小憎≫と呼ばれた。

 あるとき悪戯が過ぎて饅頭屋のオヤジを怒らせてしまい、筏宿の主人
 兵右衛門が引き取り筏に乗せるとどんなに荒れても綱は切れないし
 竿さばきもうまい。

 あるとき子供が乗ったままの筏が流された、天狗小憎が飛び込み助けたが、
 そのとき流れてきた大木に押し流されてしまい亡くなった。

 河原に≪天狗地蔵≫を祭り、子育てに霊験があり、身が軽くなるというので
 人々に信仰されているという。

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2004.07.14

大里・入間郡

長瀞 日本地質学発祥の地
大里郡寄居町 花園城または鉢形城の城下町として栄えた集落。
 安土桃山時代の天正18年(1590)6月
 豊臣秀吉と北条氏邦が戦った鉢形城の合戦。

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2004.07.13

川越市

喜多院 川越市小仙波町
五百羅漢・だるま市で知られ、大火により焼失しましたが、
3代将軍家光が江戸城から客殿・書院など移築しました。
江戸の大火から焼失を免れ江戸城唯一の遺構として残されました。
≪家光誕生の間≫≪春日局化粧の間≫が見られます。
川越市 入間川を越えて西から東へ開けた街。
 川越城主松平大和守斉典が造営した本丸御殿の中に考古・民俗資料展示。
戦国時代天文6年(1537)7月扇谷朝定の守る川越城を北条氏綱の軍勢が襲った。

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2004.05.11

品川散策

nm2.jpg しながわ水族館 
  東京都品川区民公園に平成3年10月オープン

泉岳寺 :慶長17年(1612)徳川家康が外神田に創立した。
   寛永の大火により焼失、毛利・浅野・朽木・水野・水谷の五大名の尽力により
   高輪の地に移転した。
鐵道唱歌 大和田建樹作歌
 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載の・・

東海七福神 :平安時代から鎌倉・室町時代に江戸湾として栄えてきました。
 徳川氏が慶長6年に東海道五十三次を定め第一の宿駅となりました。
 沿道には由緒ある社寺が多く古くから七福神が祀られました。
 品川神社大黒天・荏原神社恵比寿天・品川寺毘沙門・磐井神社弁財天
 浜川神社福禄寿・海戞寺寿老人・方禅寺布袋
 高輪大木戸跡・たかなわおおきどあと
 地下鉄泉岳寺駅付近の大きな石塁。海側だけ保存国指定の史跡。
 ここからが江戸の入口初めは門構えだったが類焼し石塁だけが残った。

新橋へ 浜離宮恩陽公園は将軍の別邸で徳川慶喜が鳥羽伏見戦で逃げ戻った所

川崎へ 武蔵国橘郡 安閑天皇ときに屯倉(みやけ)大王家の直営農地、
      収穫した稲を収める倉庫 土地(屯田)耕作民(田部)の意。
 八丁畷で江戸から伊賀へ帰る芭蕉が門人と名残りを惜しんだところ
 ≪麦の穂をたよりにつかむ別れかな≫の句碑
 川崎大師 東海道二番目の宿場田中本陣跡 

横浜へ 
 浄土宗寺院・泉谷寺本堂の杉戸に浮世絵安藤広重作の枝垂れ桜・山桜がある。

藤沢へ 日蓮上人や多くの人が参籠したと言う江ノ島の岩屋の昔話
 鎌倉幕府の北条氏家紋三ツ鱗は江ノ島の岩屋に参籠していたとき竜神が
 姫の姿で現れ家運の隆盛を告げて去ったあとに三つの鱗が残されていた。

茅ヶ崎へ 淨見寺境内に大岡越前の菩提寺 
 徳川吉宗時代に江戸町奉行名判官大岡忠相(ただすけ) 裁断公正で有名

大磯へ 地福寺境内に島崎藤村の菩提寺
 昭和16年1月14日照ヶ崎海岸の左義長を訪れ晩年を過した。

 坂田山に昭和29年高田保の菩提寺建てられた。 
 高田公園は戦中戦後大磯で暮らしぶらりひょうたんなどで知られる
 劇作家高田保を偲んで開設されました。

 鴫立庵 京都の落柿舎・滋賀の無名庵と日本三大俳諧道場の一つ
  西行法師が鎌倉に訪れた時詠んだ歌
   心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の秋の夕暮れ
  庵は俳人崇雪が寛文4年(1664)建てたという。

小田原へ 
 11月3日箱根大名行列 :箱根博物館・美術館 :おもちゃ博物館など

 東光庵薬師堂 熊野権現境内にあり江戸時代の国文学者・賀茂真淵や
 狂歌師・蜀山人などの文人墨客が芦之湯を訪れた時参集し詩歌や俳句
 などを作った。明治15年廃絶したが、平成13年復元された。 

 蜀山人 てる月の鏡をぬいて樽まくら 雪もこんこん花もさけさけ
 芭蕉  しばらくは花の上なる月夜かな 
 賀茂真淵  あしかりの はこねの山は・・・

 北村透谷 明治元年小田原に生まれた詩人・評論家 ≪楚囚之詩・蓬莱曲≫
  馬出門土橋から城址公園に入った左奥水の公園一角に北村透谷顕彰碑があり
  碑文は島崎藤村の筆で脇に透谷の代表作が書いてあります。

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2004.04.16

大阪徒然

フェスティバルゲート
海底に沈んだ古代都市をモチーフにしたアミューズメントスッポト。

大阪の昔話
 盗賊の大親玉・袴垂は寒い夜着物を剥ぎ取ろうと武将摂津前司藤原保正
 の後をつけていたが余りにも隙がなく家まで付いていき着物を一枚もらって
 さとされ、その後捕まりあの方は恐ろしく強いお方であったと言う話。

 猪名川女神と武庫川女神は住吉大神の妻の座争いで猪名川女神は川原
 の大石を武庫川女神に投げつけ芹を抜いたので、武庫川は石があり芹がなく
 猪名川は大石がなく芹がある。
 一の宮住吉大社は神宮皇后が海上守護の神を祭り、後日皇后も祭ったと言う。 

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2004.04.14

大阪いろいろ

 通天閣
1912(明治45)年誕生し、再建され高さ91mの展望台から市内一望。

井原西鶴 ≪江戸時代前期の浮世草子作家・俳人≫
 天和2年(1682) 浮世草子の処女作 ・好色一代男
  前半は遊び過ぎ親から勘当された世之介が男傾城まで転落するが、
  父の死で勘当が解け相続を受け遊び好色のかぎりをつくし、好色丸
  で伊豆の国より狭い日本をあとにして女護島目指して舟出する。

 好色五人女 五人の女性の人間像を書いた。

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2004.04.13

大阪散策と物語

大阪城
1583年・天正13年・豊臣秀吉が建立。
 大手門・多聞櫓・千貫櫓・西の丸庭園・南に一番櫓・六番櫓があります。
 江戸時代・慶長19年11月と元和元年5月の徳川家康と豊臣秀頼の戦い
 大阪冬の陣・夏の陣のあったところ。

造幣博物館 
 大阪市北区天満・明治16年遠藤謹助局長の提案で桜の通り抜けが始まりました

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2004.04.11

東京散策最終日

港区芝・増上寺

東京国立近代美術館 ≪日本最初の国立美術館 ・東京メトロ東西線竹橋≫
東京国立近代美術館工芸館 ≪染織・陶磁・等の工芸 ・地下鉄東西線竹橋≫
ブリジストン美術館 ≪東京都中央区京橋≫≪石橋美術館 ・福岡県久留米市≫
ていぱーく 逓信総合博物館  ≪千代田区大手町≫
 ≪デジタルパーク郵政館 ・情報通信館{NTT東日本}・NHK放送館≫
印刷図書館 ≪中央区八丁堀≫
凧の博物館 ≪中央区日本橋≫
家具の博物館 ≪中央区晴海≫

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2004.04.10

続々・東京散策

中の島
四ツ谷 
 ≪教科書センター付属教科書図書館≫

 ≪善照寺砦≫天台宗・善正寺があり桶狭間合戦で織田信長方の拠点の一つ
  でしたが戦火に遭い焼失し浄土真宗になり≪円龍寺≫と改名。
  
 すこし離れたところ≪全勝寺砦跡≫に石碑があります。 
 ≪この墓地の{本姫の墓}に耳をあてるとお経が聞こえ、墓前お堂に仏・経書があり
 借りて返す時は一冊そえて返すことになっており返さないとお姫様に催促される話≫

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2004.04.09

続・東京散策

 弁天様
新大久保 ≪大きな窪地であったと言われる≫
 総理府統計局図書館 ≪総務省統計局・国の機関・地方公共団体・民間団体・
    諸外国の統計書・国の歴史的な統計古資料等所蔵している統計専門図書館≫
 島崎藤村は明治三十八年5月信州小諸からこの地へ≪破戒≫を創作した。

巣鴨 ≪妙行寺≫は四世鶴谷南北・作≪四谷怪談≫の≪お岩様≫の菩提寺。
    ≪真性寺≫松尾芭蕉句碑≪しら露もこぼれぬ萩のうねりかな≫
    ≪とげ抜き地蔵尊≫

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2004.04.08

東京散策

明治神宮
夢の東京散策
有楽町 ≪織田信長の弟 有楽斎の屋敷があったところ≫
 出光美術館
  出光興産の創業者出光佐三が七十有余年にわたり蒐集、愛蔵した美術品を公開。
  1966(昭和41)年秋に開館。2000(平成12)年に出光美術館(門司)開館。
 東京セントラル美術館

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2004.04.07

京都史跡めぐり

夢の史跡めぐり一覧
伊根舟屋 ≪丹後半島東端伊根町 伊根湾に沿って200軒余りの舟屋≫

文殊堂(智恩寺) 
≪亀岡文殊堂(山形県)・桜井文殊堂(奈良県)日本三文殊の一つ≫

東映太泰映画村 
≪時代劇に使われる江戸の町を再現したオープンセットでの撮影≫

比叡山延暦寺 
≪滋賀県と京都府にまたがる天台崇の総本山の野鳥・ホトトギス・カッコウなど≫

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2004.04.06

滝口入道

竜安寺
≪石庭≫・臨済崇妙心派の古刹 柿葺き油土塀に三方を囲まれた
長方形の平庭に白砂を敷き詰め石を15個配置した枯山水式石庭。
滝口寺
滝口入道と横笛の悲恋物語・作者・高山樗牛の≪滝口入道≫
 横笛の舞姿にひかれた斉藤滝口時頼は文を送り横笛も応えます。父に反対され
 時頼は当寺に出家し、横笛は探し当てるが入道は出家の身ゆえ不在と伝えます。
 横笛も法華寺で尼になり入道と歌を交わす。
 入道は高野山で修行を重ね高僧になったとのことです。

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2004.04.05

京都

京都地方の昔話
源博雅朝臣・醍醐天皇皇子克明親王の子・菅弦の道に極めた。
 博雅は逢坂の関に住む盲人・蝉丸に京に来るように伝えた。
 蝉丸は≪世の中はとてもかくてもすごしても宮も藁屋もはてしなければ≫
  と歌った。
 博雅はどうしても蝉丸がくなくなられた宮様の弾く琵琶の{流泉・啄木}を
 覚えたく通い教えていただき口伝で暗誦し喜んで帰った。

京の若侍は任国に行く国司のお伴をして京の妻を捨て新妻の助けで地方へ下り
任期も過ぎて京へ戻って元の妻のところへ行くと荒れ果てた家にいた妻は喜んだ。
一夜明けると妻は骨と皮の死人であった。女の霊魂だったと言う不思議な話。

仁和寺(にんなじ)の東高野川のほとりで夕暮れ時に狐に化けた若い娘が
京に行く勇猛で思慮深い滝口の武士の馬の尻にのせてもらい一度は武士
を騙して逃げたが二度めに捕まり続松(ついまつ)の火で体を焼かれたので
三度めには逃げてしまったと言う話。

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2004.04.04

高瀬舟

音羽山清水寺
観音信仰の霊場で西国三十三ヶ所めぐりの第十六番札所。
参道を登ると東山の音羽山を背に仁王門・西門・三重塔と並び
断崖の上にせりだした舞台作りの本堂へ続くきます。

高瀬川 中京区樋之口町から賀茂川の水を分岐伏見の京橋で宇治川に合流。
森鴎外の歴史小説『高瀬舟』はこの運河が舞台になった。
 ≪徳川時代京都の罪人は島流しで高瀬川をくだって大阪に送られた。
  ある夜高瀬舟の罪人喜助に同心の庄兵衛が聞くと重病の弟が自殺を
  図ったが死にきれず頼まれ苦しむ弟を楽にしてやったが、殺しの罪で
  遠島を申し渡された際の二百文の鳥目を幸せだと言った。≫

舟橋聖一 1904~1976(明治37年12月25日生~昭和51年没)
 ≪花の生涯  昭和38年にNHKの大河ドラマ第一号≫
 あらすじ 
 天保十三年彦根城内 直弼は国学者長野主膳に師匠村山たか女を紹介された。
 弘化三年直弼は藩主となり江戸城へ初登場し某大名息女昌子迎えたが開国を
 主張する直弼は攘夷党に狙われる身となった。安政大地震後ハリスは日米条約
 の締結を迫り幕府の重臣は狼狽し、直弼は大老となり国家のため仮条約に調印
 紀州慶福を立てた。たか女は主膳と共に京都へ行き加寿江と改名侍多田一郎の
 息子帯刀は同志となった。その後吉田松陰一味が処せられ、万延元年三月三日、
 直弼は桜田門外で水戸浪士の襲撃に逢い白雪を鮮血に染め生涯を閉じた。

応仁の乱  
 ≪1467年(応仁元年一月)~11年間京都を中心にした将軍家・菅領家の跡目争い≫
 細川勝元派(東軍)と山名持豊派(西軍)の争い。
 上京区はずれの上御霊神社がある上御霊の森で畠山政長と畠山義就の争いが口火 

本能寺(当時の四条西洞院~秀吉により市役所南側に移転)
 本能寺の変 安土桃山時代天正十年(1582)六月明智光秀が織田信長を襲撃した。

京都御所での乱。
 保元の乱 平安時代・保元元年(1156年7月)後白河法皇と崇徳上皇の争い。
 平治の乱 平安時代・平治元年(1159年12月)源義朝と平重盛の争い。
 禁門の変 江戸時代・元治元年(1864年7月)徳川幕府と長州藩が王政復古
        を前にしての争い。
比叡山焼討ち 安土桃山時代・元亀二年(1571年9月)
 比叡山は天台宗の総本山・織田信長は横暴な僧兵の宗教・学問など焼却した。
鳥羽伏見戦争
 慶応3年(1867年)朝廷(主力は薩摩・長州藩)は徳川家の根拠地
 江戸で徳川慶喜(1868年1月)と幕府軍(会津藩と新選組)が戦い 
 4日間の激戦の後幕府軍は江戸の品川宿へ敗走する。
勝沼戦争 
 同年3月近藤勇は甲陽鎮撫隊を組織し甲府へ向うが勝沼で
 官軍先発隊と戦い江戸へ敗走する。

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2004.04.03

京都・三条・五条


京都三条通りの昔話
 ≪桓武天皇皇子・高陽親王(かやのみこ)は京極寺の寺領であった。
  細工の名人であり、ある年旱魃に見舞われ賀茂川も水が絶え孝案の
  末左右の手に容器を持つ子供程の人形を田の中に立て容器に水を入
  れると顔にかけるしかけで面白く大勢の人が水を入れたので田に水が
  満ち、ひでりに焼けることなく済み細工上手を誉めたと言う話。≫

牛若丸  明治四十四年文部省唱歌
  京の五条の橋の上 大のをとこの辧慶は 
  長い長刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる。
 明治三十四年の牛若丸は 父は尾張の露と消え~と波乱の生涯を歌ってる。

天長節(てんちょうせつ) 作詞者 黒川真頼  作曲者 奥 好義 (京都出身)  
  今日の吉(よ)き日は 大君の 生まれたまいし 吉き日なり
  今日の吉き日は 御光(みひかり)の さし出たまいし 吉き日なり

一月一日  作曲者 上真行(さねゆき) 京都出身の雅楽者 作詞 千家尊福

戦友  作詞者 真下飛泉は京都の教育家・市議会議員

京都五条通りの昔話
 桓武天皇が延暦13年(794)・唐の長安にならい建てた平安京~明治二年
 (1869)東京遷都(王朝時代~武家政治時代)まで文化の中心だった。
牛若丸 ≪五条橋で武蔵坊弁慶と牛若丸(源義経)が戦い弁慶敗れ家来になる話≫

鞍馬山の鞍馬寺(洛北左京区鞍馬本町)
 唐の僧・鑑真高弟・鑑禎が宝亀元年(769)・草庵を結んで安置したと言われる。
 ≪鑑真が鞍馬山に入ると大蛇がいて祈念し水が絶えないように守れと逃がした話≫
 ≪幼い牛若(源義経)は寺に預けられ大天狗に兵法武術を受け平家を滅ぼす話≫

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平安京

嵐山
大堰川にかかる渡月橋を中心にした地域・川上右岸に亀山公園がある。
平安京での昔話
村上天皇 ≪父・醍醐天皇の第14皇子 母・藤原穏子(藤原基経の娘)≫
 ≪ある時・・宮の鶯 暁に囀る・・の題で詩をお作りになり、菅原文時の詩と
  比べ批判を求めたが卒直に優劣を言わなかったので取次ぎをしないと申
  され、文時の方が少しだけ上座にいるものと存じますと言ったのでこれを
  ひと通りならず誉め感ぜられた。このように文章を愛好されていた。≫

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2004.03.28

福知山市

京都福知山市 酒呑童子
明智光秀を祀る御霊神社の例祭・光秀出陣音頭(福知山音頭)
大江町出身の真下飛泉・作詞の戦友歌碑があります。
 ここはお国の何百里 離れて遠き満州の赤い夕日に照らされてーーーー

源頼光が家来4人つれて大江山の酒呑童子を退治する伝説を歌った“おおえやま”
 むかし丹波の大江山 鬼どもおおく籠りいて 都に出ては人を食いーーー

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